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(2008年12月)


2008/12/31(水)21:43「だから、絶対独りじゃない。〜2008年、年末のご挨拶〜」
 2008年。
 おいらにとっては、サッカーの世界に飛び込んで6年目の年。
 最後の陽も落ちて、もうすぐ、終わりを迎えます。

 自分にとっての今年を振り返れば、サッカー面では間違いなく、強さを求められる年でした。
 去年のおいらはスタジアムDJ。大好きなサッカー野郎たちの気持ちに触れ、また自分の言葉や自分が引き出した言葉でたくさんの方が沸く、そんなシーンがいっぱいあって、その度にうれしさと充実感、そして暖かさを感じました。
 翻って今年、そんな機会は無くなり…、基本、独り。
 大好きなサッカー野郎たちの勝利など、うれしい時間もありました、だけど逆に、孤独を感じて、気持ち立て直さなきゃって必死になってた時間もたしかにありました。

 それもサッカー。頭ではもちろんわかってる。だけど。

 気持ちを強く持つこと、持ち続けること。サッカーではそれが大切。
 と、言葉にするのは簡単だし、実際簡単そうに思える。
 けれど、そうあることがどれだけ大変なことか。
 やれるだけのことはやったつもり。最大限強くあったつもり。
 でもそれで足りてるかどうか…少なくとも、それはおいらが判断することじゃない。

 そんなことを考えながら、さらに疑心暗鬼に陥ったりもしたし。

 だけど。
 曲がりなりにもやってこられた、それは、その向こうに誰かがいるという現実があるから。
 大好きなサッカー集団がある。大好きなサッカーがある。
 そして、それを通じて、おいらには、おいらをわかってくれる大切な人たちがいる。
 おいらたちのサッカーをほんとにわかってくれる大切な人たちがいる。
 おいらの存在が、たしかに、スタジアムでのたくさんの笑顔につながっているというリアリティがある。

 そして、要所要所で、そんな人たちはおいらを助けてくれた。

 基本、誰しも一人。時には独り。だけど、絶対、極限まで独りじゃない。
 霧の向こうには、絶対、誰かがいる。

 もちろん、全ての人と仲良くしようだなんて思わない。
 自分を、あるいは自分の大切な存在を守るために、ぶつかることはいとわない。
 けれど、誰かがいる。誰かが頑張ってる。
 その現実が感じられたから、だからおいらは歩いてこられた。

 もっと強くなんなきゃいけない。そうすることがそんな誰かへの恩返し。
 そして十分そうできているのか…支えてもらえている分、きちんと返せているのか。
 わかりません。けれど、今まで以上に、そういうことの大切さを強く感じた年でした。

 大切な人たちがいる。
 だから、おいらは歩いていける。
 そして、逆に誰かの力になるおいらになれるように。

 自分をいつも以上に成長させてくれた1年でした。
 そう思えるから、ええ、笑って振り返れます。
 それはとっても幸せなこと。

 とっても、幸せなこと。

 今年も1年間、お世話になりました。
 来たる年が、よい1年になりますように。
2008/12/30(火)23:03「1-0の試合2つ」
 予告どおり昨日は国立に行ってきました。
 もっとも、事情あって、高円宮杯は最初からは見られず、スタンドに入ったらちょうど前半終了のホイッスル、ってとこでしたが…。

  【第1試合・高円宮杯全日本ユースU-15決勝:FC東京深川 1-0 アルビレックス新潟】

 0-0で迎えた後半開始からしか見てないのですが、とにかく新潟のパスサッカーがおもしろい。
 ヒールパスなんかも織り交ぜながら、執拗に東京深川ゴールに迫っていく。
 …のだけど、あと一歩で詰めきれない、というか、東京深川の中盤がしっかり利いてサイド攻撃しかさせないようにしていたので、東京深川としてはゴール前さえ固めれば問題無し、という状況になってたかな。
 そうこうしているうちに流れを引き寄せた東京深川は、後半14分(40分ハーフの試合なので通算54分)、遠めからゴール前をねらった直接FKに#10橋本が反応、左寄りの位置で受けて右に転がす。
 これを右外側から走ってきて受けたのは直前に交代で入ったばかりのストライカー#9渡辺。
 受けてそのまま中へ切れ込むと、新潟GK山下は橋本のパスにつられて右方向(本人から見れば左)に体勢を崩しておりついていけず。
 そのままの勢いで渡辺が流し込んで東京深川が先制点を挙げました。

 これで攻めに出るしかなくなった新潟ですが、後ろが東京深川のカウンターを警戒したのか、前線の3人程度とその後ろとの間が開いてしまい、なかなか前にボールが収まらないジレンマに。
 時折前に渡る場面では、#10早川や#11池田といったストライカーが個人技で魅せ、同点なるか!というシーンもあったのですが、わずかに枠を外したり、ゴールラインぎりぎりで東京深川の人垣に阻まれたり。
 結局後半40分間で8本のシュートを放ちながら(東京深川は3本)得点に至らず、東京深川が完封勝ちを収めました。
 いや、でも…中学生の公式戦を見たのは初めてだったんですが、こんな試合ができる中学生がいるのか!って、素直にびっくりでした。

  【第2試合・天皇杯準決勝:横浜M 0-1(延長0-1) G大阪】

 立ち上がりから両軍がんがん走ってスピーディーな展開に。
 前半、大阪は左SBの#13安田のオーバーラップから、横浜は右サイドから、チャンスメイクするシーンが多く、バックスタンドの前の方で見ていたおいらには目の前で試合が展開される場面が多くてとても見応えがありました。
 (横浜がホーム扱いなので、普通だったら横浜がバックから見て左へ、大阪が右へ攻めるはずですが、コイントスで勝った横浜が陣替えを選択したので逆になりました。落ちてきた太陽に向かって攻めるのはまぶしい、ということかと思います。)
 前半一番の決定機は30分過ぎだったか、飛び出した大阪#11播戸がDF1枚にマークされながらシュートしたもののポストを叩いたシーン。
 あれは惜しかった。

 後半に入ると、大阪が先にへばって横浜の攻勢一辺倒に。
 さらに大阪は要の#7遠藤が足を痛めたようで交代せざるをえなくなり、ますます苦しくなりました。
 前線に運ぶことができず、前半攻撃でも守備でも目立っていた#9ルーカスも運動量が落ちてほとんど消えてしまい、単発のミドルシュートを繰り出すだけに。
 それでも大阪には#27橋本のミドルシュートという決定機がありましたが、これもポストに衝突。
 一方の横浜も詰めきることができず、横浜15本、大阪10本のシュートを放ちながら両者無得点で延長戦突入となりました。

 ただでさえ前半からとばしていた両軍だったので、延長戦に入るともう完全に消耗戦。
 大阪は#27橋本がさかんに股関節やひざを叩くようになり、横浜もボールを受けた#4栗原が自らボールを蹴り出すような形でプレーを切って倒れるシーンがありました。
 そんな中でも横浜が再三攻め上がって押していたわけですが、延長前半の終了間際、交代で入ってまだ35分で消耗の少ないはずの横浜#18清水が、左サイドを攻め上がる大阪の選手を後ろから倒してしまい、2回目の警告を受けて退場処分に。
 横浜の攻め手が1人いなくなって、大阪が息を吹き返すことになりました。
 さらに大阪に有利にはたらいたのは、交代枠を残しており橋本を代える余裕があったということ。
 数的優位をしっかり活かし、最後は延長後半11分、#8寺田が自陣からセンタースポット付近を通ってドリブルで駆け上がり、その縦パスに飛び出した#30山崎が、DFを引き連れながらも横浜GK榎本の脇の下を通すグラウンダーの強いシュートを突き刺してゴール。
 その後横浜にチャンスを作らせずに2時間半の死闘に終止符を打ちました。

  ***

 …と、こんなふうにおいらは見たんですが、んー、もっといい文章が書けるようになりたいっすね…。

 ともかくも、これで今年の観戦は終わりました。
 後半しか見てないこの日の第1試合と、後半途中から見た別の試合とを、合わせて1試合分としてカウントすることにすると、今年の公式戦の観戦総数はちょうど40。
 んんー…おととし・去年は50台に乗っていたのに、やっぱ減ったなあ。
 まあ、いろいろあったし、仕方ないっす。少なくとも、40試合見たなりに経験を積めた実感はあるので…それを今後に活かしていけるように、っていうことですやね。

 新年は"元日国立"の全日本女子選手権決勝・天皇杯決勝が観戦始めになります。
 2年ぶりの国立初詣。これができるってのは…うーん、なんかわくわくしますねっ!
2008/12/28(日)17:20「思い出話でも(2)」
 遅くなりましたが、前回のつづき。

 周大さん。
 読みはシュータ。
 だからしばらく"周太"だと思ってた。
 ごめんなさい。

 下部組織を出て、Jリーガーにまでなったストライカーが帰ってくる。
 ってんで去年のはじめはわくわくしていたんですが(小林陽介が抜けた直後でもあったし)、開幕前にまさかの大怪我。
 その年DJだったおいらは、開幕前に全選手のキャッチフレーズをつくっていて(試合前のメンバー発表のときにしゃべるやつ)、周大さんにはぴったりのいいフレーズができた!って思ってたのに、がっくりしたのを覚えてます。
 でも、ムラ(村山)さんを軸に、大多和(現鳥取)さん、宇治さん、長沼さん、岩田(昨年限りで退団)さんあたりがFWとして頑張ってくれてたので、正直、存在感はだんだん薄くなって…。
 申し訳ないです。でも、試合に行けばやっぱり目の前のメンバーを応援したくなるわけで、1度も試合での姿を見たことない状況ではどうもこうも…ってのはどうしようもないことで。

 だから、復帰戦のことはすごく印象に残ってる。
 8月の夢の島でのナイトゲーム。大好きな夢の島ナイターで、しかも相手は注目のロッソ。
 ってんで楽しみにしていたわけですが、その日、試合前に放送席に届いたメンバー表を見てびっくり。
 ってのは、周大さんの名前がサブのところに載っていたから。
 ――天皇杯中断明けくらいまでかかる、下手すりゃ1年まるまるだめかもしれない、って聞いてたのに!――
 その直前にムラさんが怪我に見舞われてFWが少ない状態とはいえ、こんなに早く帰ってくるなんて、ってびっくりしたのを覚えてます。
 試合前、例のフレーズを披露できてうれしかったのは言うまでもありません。
 で、2点ビハインドを追いついて圧せ圧せになった後半26分、ついに初出場。
 まだまだ本調子ではないんだろうな、と思いつつも、懸命に走り回る姿を見て希望を感じたのを覚えてます。

 で、今年はムラさんが出られない中で、FWの軸として大活躍。
 守備重視の戦術の中で、かなりもどかしい思いもしただろうと思いますけど、DFを何とかかいくぐって前へ進んでいこうという気持ちがプレーに現れてて、とても頼もしく思いました。
 一番印象に残っているのは…んー、やっぱり天皇杯予選の駒大戦でしょうか。
 ハーフタイムの時点で0-1のビハインドの状態だったけど、不思議と負ける気がしなかったこの試合。
 後半開始早々の同点ゴールは、周大さんにとっては目の前にこぼれてきたボールを押し込むだけだったとはいえ、その前の積極的な前線への上がりがあったからこそのゴール。
 そして35分、左の角度の無いところから放ったシュートが斜めにゴールを突き刺して逆転。
 シチュエーションのせいでもあったとは思いますが、周大さんすげえとしか言えない見事なゴールでした。
 結局その試合はこのまま2-1で逆転勝ち。
 試合後、周大さんがとてもうれしそうにしていたのを覚えています。

 実質1年ちょっとしか試合の場にはいなかったってのに、すごく強烈に印象に残る人で…。
 正直、これでもう周大さんのプレーが見られなくなるってのはとても惜しい。
 けれども、考えに考えての結論なんだから、仕方ないですやね。
 とっつきにくい印象があってなかなか話しづらかったのですが、最後の納会でその分、ちょこっととはいえお話しできて、とてもうれしかったです。
 2年間、ありがとうございました。

 渡邉コーチ。
 おいらが初めて見たときはまだ現役で、ディフェンスリーダーとして活躍していた人。
 引退後、1年間の社業専念を経てコーチとして戻ってきたのが2006年。
 背中で語れる、強い心を持った人だってのは現役時代を見てわかっていたので、そんな人が現場に戻ってくると知って心強く思ったのを覚えています。

 コーチが試合で印象に残るなんてのはめったにないことですが、それでも1つだけ挙げたい試合があって――ヤスオさんの記事でも書いた、2006年7月のユアスタでのソニー戦。
 苦しい状況の中で、後半39分、試合を決定付ける2点目が決まった瞬間。
 ピッチ上はもちろん、スタンドもベンチも大はしゃぎだったのですが、そんな中で渡邉コーチが、スタンドのおいらたちに向かって、破顔一笑という表現がぴったりの笑顔で、もっと煽れ煽れというようなジェスチャーをしたのです。
 おいらたちの存在を意識してくれてたわけで、あれはうれしかったなあ。

 試合以外の場所で直接お話ししたこと、何回かありましたけど、とにかくナベさんは真剣な人。
 チームのこと、チームのメンバーのこと、チームを取り巻く環境のことをしっかり把握して、その上でどうすればいいのかっていう考えをいつも強く持ってました。
 で、その辺りの思いを冷静な話し方で熱く話してくれる人。
 そしておいらのような者にも仲間として接してくれて…ホームゲームの後にピッチレベルの片付けをしてるときにも、おう、いつもありがとね、なんて声をかけてくれる。
 やさしくて頼れる兄貴分のように思ってました。

 正直、そんなナベさんが退任というのはびっくりでした。
 だけど、仕事の面でも"できる人"なんだろうなあとは思いますし、おそらくは社業専念で頑張るという決断をしたのだろうと思います。
 すごく残念ですが…3年間、ほんとにありがとうございました。
 またいつか、何らかの形でチームに帰ってきてくれればうれしいです。

  ***

 …とりあえず今年のチームからは、3選手1コーチが退団となります。
 このほかに、廣永さんが来季FC東京一本でやるのも確実でしょうし、年が明ければ、めでたくプロ選手としての地位を勝ち取って去っていく人もいるだろうと思います。
 加えてフロントもメンバーが代わるし、来年はどんなチームに、どんなクラブになるのかな、ってのはいつも以上に読めません。
 ともかくも、おいらとしては、今は去り行く人に感謝するのみ。
 本当に、ありがとうございました。これからもどうかお元気で!

  ◆◆◆

 関係ないですが、明日は新右衛門の観戦納めということで、国立で高円宮杯U-15決勝(FC東京U-15深川×アルビレックス新潟ジュニアユース)と天皇杯準決勝(G大阪×横浜M)を見てきます。
 奮発してS席をとりました。楽しみ。
2008/12/22(月)0:55「思い出話でも(1)」
 だいぶ出遅れましたけど。

 大好きなチームから、選手3人、コーチ1人の退団が発表されました。
 何となく、そうかもな、って思っていた人もいるし、びっくりした人もいるし、だけどどうであれともかく、お礼を言わずにさよならにはしたくないので、思い出話でもつづる。

 ヤスオさん。
 育男と書いてヤスオと読む。
 2004年の入団発表のとき、正直、読めなかった。
 (ちなみに、この年には11人の大量入団があったのだけど、これで全員が武蔵野を去ることになる。)

 ヤスオさんといえばソニーキラー。
 DFなので5年間で得点は4しかないのだけど、どういうわけかそのうち3点がソニー戦。
 特に2006年のホームゲームでは、決めてくれるんじゃないかなと思ってたらほんとに決めてくれてびっくりしたです(2006年4月24日の日誌参照)。
 …だけど、ヤスオさんの名場面ということでおいらが思い返す2つの試合は、「ソニー戦ではない唯一のゴール」と「ゴールを決めていないソニー戦」。
 前者は2006年の開幕戦。味スタに鳥取を迎えた試合。
 1-0でリードしながらも防戦一方になってひやひやものだった後半42分。
 ハーフラインのあたりから飛び出したヤスオさんに縦パスが通って、そのまま独走、ゴール。
 ホームでの開幕戦での勝利を決定付ける2点目を挙げ、すごくほっとして感激したのを覚えています。
 後者は、同じ2006年の7月。敵地ユアスタでのソニー戦。
 たった30分で退場者を出して、これも1-0でリードしながら、必死で守っていた試合。
 後半、残り30分のところで投入されたヤスオさんはしっかり体を張って、終了直前のピンチもしのいで勝ったわけですが、そこで接触プレーがあって担架で運び出され、そのまま試合終了のあいさつの列に加わることも無くピッチを去ったのでした。
 感動的な勝ち方をしたからでもあったのですが、ゴールを生み出した選手だけでなく、そんなヤスオさんに心打たれたのを覚えています。

 本職はサイドバックのはずなんだけど、中盤でも、さらに時には2トップの一角として先発、なんてこともありました。
 ほんとに、チーム事情に合わせてどこでも献身的にこなしてくれて、頼もしかったです。
 ヤスオさんのオーバーラップ、まだ見たかったけれど…ともかくも、ありがとうございました。

 宇治さん。
 JFLを制覇してJへ行ったのと同時に愛媛を退団し、武蔵野にやってきて3年。
 とうとう公式戦でのゴールを見ることはかないませんでした。
 練習試合では豪快なのを何回も見せてもらったんだけどなあ…。

 印象に残っているのは、2006年のアウェイ・流経大戦と、去年のホーム・岐阜戦。
 前者は前期の最終戦、ひたちなかでのナイトゲームでした。
 後半立ち上がりまでに2点のリードを奪いながら、すぐに1点を返され、その後もさんざん攻め込まれる中でFW同士の交代で82分に出てきたのが宇治さん。
 ところが直後にFKから押し込まれて同点に。
 これでもう勝ちは逃げた…と絶望的な気分になったのですが、ここから宇治さんの前線での積極的に飛び出そうとする動きがリズムを変えます。
 そして最後は86分、右を突き破ってのクロスに対して中に2トップが走りこみ、ニア側の宇治さんがファー側の小林(陽介・現J2熊本)に頭で流したのを小林が叩き込んで勝ち越し。
 起死回生の決勝点、試合が終わってからも、この試合ほんとに勝てたんだ…って感激してたのを覚えてます。

 後者は去年のゴールデンウィーク、味スタでの試合。
 開始早々に先制を許した後、後半に相手がへばってきたところを攻め立てて追いつき、なおもほぼ一方的に圧している中で、さらに前線を活性化すべく80分に送られたのが宇治さん。
 そして、果敢な飛び出しから再三場内を沸かせてくれて…。
 そのときDJだった私は、インタビューの準備をしなきゃならなかったので放送室を離れてピッチレベルに向かっていたわけですが、やはり大きいスタジアムだから間に距離があるわけで、今ゴールが決まったらどうしよう、なんてことを考えながら走ってました。
 結局それは杞憂で、スコアは動かず引き分けで終わった試合でした。
 だけど、年に1度の味スタ開催で、勝てなかったとはいえこんだけ面白い試合を見せてくれれば、十分かな…と思ったのを覚えてます。
 んで、次はほんとに宇治ゴールを見たいな、と思ったのを覚えてます。

 そんな宇治さんのプレーを見られて、楽しかったです。
 ほんとに、できれば公式戦でゴールを見たかったけれど…まあ、しかたないっす。
 3年間、ありがとうございました。

 …なんかこの調子でいくとけっこう長くなりそうなので、今日はここらで。
 残りの2人については次回書きます。

 ただいま東京はえらく強くて生ぬるい風が吹いています。
 前線&低気圧ご一行様のお通りですな、こりゃ。
2008/12/17(水)0:27「さすが」
 友人(同い年)より子が生まれた旨のメール来たる。

 どういうわけか、今年に入ってから周りで急にそんな話が増えました。
 まあ、就職して4年目、そういうふうにひとつ踏み出すお年頃なのかもしらんですが。
 それにしても、何だよこのベビーブームは、ってくらい。
 不思議なもんです…。

 さすが子年!(違!)

  ◆◆◆

 今後の観戦予定ですが、
  ・今日17日の国立:クラブW杯準決勝 パチューカ×リガ・デ・キト
  ・29日の国立:高円宮杯U-15決勝戦&天皇杯準決勝
 の3試合が今のところ確定済みです。
 今日は(メインスタンド側から見て)聖火台の1ブロックくらい右、最上段近くにいるはずです。
 万一テレビに映っちまったらお目汚しお詫び申し上げますです。
2008/12/12(金)23:18「いい塩梅で」
 えー、酔っ払っております…。
 まあ忘年会が多い季節ですからねえ。
 んなわけで、まともなことを書ける自信がないので、今日も特にネタには触れない方向で。

 一応業務連絡ですが、土日はパソコンを持たずに旅行に出かけますので、明日13日の更新はお休みします。
 何か最新情報があっても、次回更新は14日(日曜)の夜以降になりますのであしからずです。

 ふいい。こう何と言うか、いい塩梅で(←ここ重要)酔っ払うってのはいいですねえ。
2008/12/12(金)0:59「とりあえず」
 えーと、どうも。
 8日も日誌を空けてしまいました。
 別にネタに困ったわけではない…どころか、ネタは困るくらいいっぱいあるわけですが。
 肝心の書き手に時間がないというか精神的余裕がないという状況で。
 風邪ひいたりとかいうわけではなくて、一応元気なんですが、どうも気が休まる暇がなくてお疲れモードっす。

 ええ、まあ、そういうわけで、いろいろ書きたいことはあるんですが、すみません、ご容赦を。
 とりあえず今日は生存報告のみにて失礼をば。

 眠みー……。
2008/12/4(木)1:17「最終戦を終えて」
 もう丸3日経っちゃいましたけど。
 第10日JFL、終了しました。

 おいらたちの最終戦はドローでした。
 まあ、去年ホームで負けた琉球にドローなんで、少しは進歩したってことか?
 …と思うことにしましょう。
 内容はほんとに惨憺たるもんでした。よく負けずに済んだもんだ。
 何も知らない人が見たら、7位なの?17位の間違いじゃないの?って思うんだろうなあ、と思いました。

 最終成績は、15勝9分10敗の勝ち点54、第7位。
 去年より白星が1つ減って引き分けが3つ増えて、結局勝ち点も順位も去年と全く同じになりました。
 正直、このチームならもっとできたでしょ、っていう物足りない思いでいっぱいです。

 だけども、まあ。

 それはそれとして。

 1年間、ほんとにいろんなことがあって、いっぱい楽しい思いをして、いっぱい悲しい思いもしました。
 んで、今までとまた違うおもしろさも味わいました。
 それは全部、大好きなサッカーがあったから。
 チームが一生懸命サッカーしてたから。

 それは素直に感謝。

 そして、そんな大好きな存在に対して自分は何ができただろう。
 そんな大好きな世界を歩く中で自分は成長できたんだろうか。

 まだ、じっくり振り返るような気にもならなくて、そこらへん、ぼんやりとしか見えていません。
 だけど、ぼんやりと何となくでしかないですが、0ではなかった、と思ってます。
 そうであれば、とてもうれしいこと。

 1つのシーズンを終えたいま、そう思えることが、とても幸せ。
 今年も本当に、ありがとうございました。
 そして、同じ舞台で戦った他クラブの皆様、どうもお疲れ様でした!
2008/12/3(水)1:26「送辞」
 まあ、送辞っつっても、思ってることは去年(12月5日の日誌参照)とだいたい同じだし。
 あらためて同じこと書いても意味ないんで、略。

 だから、追加で、おいらが最近Jへ行くってことに関して思ってることを書こうかなと。

 思うに、Jへ行くってことは、その街がJクラブをもつ権利を持った、というのと同時に、Jクラブをもつ責任を負ったってことではないかと。
 街ってのはもちろん、行政だのスポンサーだのにとどまらない。
 そのクラブを愛するすべての人。当然サポーターも含む。
 難しいことや目を背けたくなることはクラブに任せて、自分はきゃーきゃー楽しんでるだけ、ってんじゃ、明るい未来はないでしょうね。
 病めるときも健やかなるときも、好きなんなら全て受け止めて一緒に歩いていかなきゃ。
 だって、どう考えたって、チームが戦う相手は今までより強くなるし、カネも今までより余計にかかるわけだし。
 であれば、チームもクラブも、今までより強くならなくちゃならんわけで、そのためには今までにはない厳しい出来事にぶち当たらねばならないときもあるはず。
 そこで逃げたらどうなる?
 …興行団体が人にそっぽ向かれたらおしまいよ。

 もちろん経営だの資金提供だのでサポーターができることって0だったりごくごく小さかったりしますが、クラブの存在価値や存在意義を高めていくこと、これはサポーターにも十分できる…どころかサポーターにしかできない部分が確実にあるわけで。
 そうやっていくことが、「Jクラブをもつ責任」を「サポーターなりの形で負う」ってことなんじゃないかなと。

 昨今のJを目指す動きの中で、実際にJクラブになった先例、いくつかあります。
 Jリーグ4年生に徳島と草津。3年生が愛媛。1年生には熊本と岐阜。
 そんな先例を見て、こうなりたい、と思うこと、あるでしょうし、逆にこうはなりたくないと思うこともあるかもしれません。
 じゃあ、そうなるために、あるいはならないために、どうしたらいいのか?
 ただただ願ってるだけで大丈夫?
 うちらは絶対大丈夫!って無根拠に信じてるだけで大丈夫?

 考えるべきこと、いっぱいあると思うんです。

 ほんとは、同じようなことは、J未満のクラブにも必要なことだと思ってます。おいらも武蔵野大好きって言ってる以上、この辺りきちんと取り組まねばならないと心がけています。
 ただ、ある程度、「夢」という言葉で覆い隠せちゃうのです。困ったことに。
 世の中には「同床異夢」って言葉もあるくらいだってのに。

 ハードルが高くなった今、そして「Jへ」という夢が消えた今(夢がかなうってのは夢じゃなくなるってことでもありますからね)、楽しいことが増えるだけでなく覆い隠せなくなることも増えるはずなのです。
 …そこに立ち向かっていけるか。もしくは、おしまいになるか。
 未来はどっちでしょう。もちろん、後者になるんだったら、夢の正体ってなんだったのよ?って話ですがね。

 もちろんそうなるのは、おいらも望んじゃいない。
 Jを目指すということを自ら選択して、それをかなえた。そうである以上、立派なJクラブになってほしいと思ってます。
 権利と責任とともに、そしてわくわく感と覚悟を胸に、めいっぱい、飛び立っていってほしいなと思ってます。

 栃木、富山、岡山の皆様。
 いってらっしゃい。どうかこれからもお元気で。


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